勉強に音楽はアリかナシか
■分野別
理系簡単 → 音楽アリ
理系複雑 → 音楽アリ(集中できたら途中から消す等)
理系超複雑 → 音楽アリ or 音楽ナシ(論理が想像できなくなるから)
文系簡単 → 音楽アリ or 音楽ナシ
文系複雑 → 音楽ナシ(情景が想像できなくなるから)
文系超複雑 → 音楽ナシ(論理と情景が想像できなくなるから)
■音楽の種類
歌詞日本語 → 最も微妙(最も集中力が切れやすいから)
歌詞英語 → アリ(オーバーラッピングになる、が、英語が日本語かのように聞こえるようになったら自制検討)
ラップ → 日本語なら基本的にはナシ、英語なら基本的にはアリ
無歌詞 → まあアリ
クラシック → アリ
トランス等 → アリ
■媒体
無課金Youtube → かなりダメ(広告が入る、曲を変えたくなる、集中力が切れる)
課金Youtube → 微妙
その他ネット媒体 → 広告が入らないことと、曲を選ばなくても10時間分くらい自動で流してくれることの両方を満たすものなら可
■例外
ポモドーロテクニックなど時間管理を実行できていて、その周期に合う長さの音楽を聴く場合などは、無課金youtubeだろうが何だろうが問題ないでしょう。
■補足
スマホは「壁ひとつ」外に置いて下さい。ドア1枚、壁1枚、そと!です。
金大医学部で1位だった先生も、スマホだけはあえてリビングに置き、勉強部屋や寝室に持ち込まないようにしておられました。
スマホは、医学部1位でさえ、その誘惑に負ける道具です。
安易に我が子に与えていませんか。
親自身が安易に扱っていませんか。
まれに例外もありますが、大抵の子にとって、スマホは未来を壊す毒です。
■結論
結局、音楽のアリナシは、集中力についての理解度合いによって返答が変わるわけです。
ファミレスで勉強する場面なら音楽を利用したほうが集中できます。
ただし耳栓を強く推奨します。
最終的には、時と場合によります。
集中力の無い子の家は、集中力の育たない環境になっています。テレビ漬けの親、ネット漬けの親、子供が集中しているときに話しかける親、なにが「ごはんよ食べなさい」ですか?誰かが集中しているときは話しかけてはいけません。誰かの集中には、その人の「時間コスト」と「精神コスト」がかかっています。そもそも、このことが理解できない親だと、つい子供が集中しているときに話しかけてしまうのです。「やりたくないけど集中できたこと」とか、無いんでしょうか。他人の集中力を無料の何かだと思っている証拠です。
自分が本当に集中したという経験をしていないか、または、あまりにも恵まれた環境に居て集中力が切れることのコストを経験したことが無いか、他にも原因はあるかもしれません。子の集中力を軽視する親は、集中力に対する敬意が足りません。
これは「立場を逆にして考えてみる」ということに通じます。同じ問題はトイレ掃除にも言えます。トイレ掃除を我が子にさせていますか? 世の中の保護者の皆さま、「頑張る方向」を間違えていませんか。トイレ掃除を保護者が頑張れば頑張るほど、我が子は「よそのトイレを汚しても平気」な子に育ちます。頑張るべきは、「子にトイレ掃除をさせること」の方です。
子が十分に「立場逆転」を学び、トイレは汚すべきじゃないと学んだ後は、頑張る子らの時短のためにトイレ掃除はしてあげても大丈夫です。ゲームや動画サイトに時間使っているようならトイレ掃除させた方がいいかもしれませんが。
話を遷移させてしまいました。話題のずれを感じ、不愉快を覚えられた方は、どうかお許しください。
最終的には、トイレ掃除の話も、集中力の話も、一例に過ぎないということです。自分の関わりが、子の10年後に、どう影響するか、逆算して関わる親が理想、ということです。そう、夫婦喧嘩したり、伴侶の悪口を言っている親も同じです。それ、子がマネして「大切な仲間をぞんざいに扱ってもいい」と勘違いしますよ。
口で「トイレをきれいに使いなさい」というくらいなら、トイレ掃除させることに注力してください。
口で「勉強しろ」という暇があるなら、自分の言動が子の10年後にどう影響するか、想像してください。