不登校に「見守りましょう」「好きなように過ごさせてあげましょう」は1940年の答えです。戦前ですよ?
現代で「見守りましょう」「好きなように過ごさせてあげましょう」をやると、お子さんは動画サイトやアプリやゲームから抜け出せなくなります。当時とは娯楽の量も質も段違いに高いのですから、当然のことです。
ではなぜ未だにそういう「センモンカ」が絶滅しないのか、それは
・生徒にナニカがあった時に責任をとれないから
・問題さえ起こさなければ給与は変わらないから
・創意工夫したり試行錯誤したり保護者に強く寄り添って頑張っても給与が変わらないから
・実は問題の中心は保護者で、それを指摘しても、問題ある保護者ほど言うことを聞かない(なんなら敵視してくる)から
です。
そりゃ本当の事なんて言いませんよ。
あなたにそのつもりが無くても、その問い合わせ、敵視と混同されていますよ。
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不登校の場合に「家の居心地を良くする」というアドバイスを受けることがありますが、これを「子にとって居心地よく」と解釈するのは全くの間違いです。
この「居心地を良くする」というのは、本来は
・朝、気持ちよく起きることができる(つまり強制的に夜は寝るしかない状態にしてあげる)とか、
・昼、眠くなく過ごせる(つまり夜は強制的に寝かせる、朝は強制的に起こす)とか、
・夜、寝かせる(つまり暇つぶしを全部封印する)とか、
・食事のバランスをとる(つまり、偏食を許さず、好きなものばかり食べることを強制終了させ、空腹にさせ、身体によいものを与える)
・暇つぶしを封印する(デジタル機器を完全封印、ゲームもサヨナラ、読書か勉強か、中卒以上なら働いて家賃を稼がせ払わせるか)
・夫婦自身や自分たちの父母(つまり祖父母)の知人の中から理解ある社会性ある大人と会わせ話させる
こういうことによって、「社会性と生活の質を良くする」ということを意味しています。
単に子に好きなことをやらせ、親がそれを支援するというのは全く全くの間違いです。
さらに、好きなことを好きなだけやらせた結果、親子の主従関係が壊れて友達レベルに落ちたり、ひどい場合は逆転して子が家の主かのように過ごさせるものですから、ますます引きこもり、暴力し、「死にたい」と子に言わせています・・・(厳しいことですが、)それは、親が、そうさせているのです。
親が覚悟を決めて対処すれば問題は解決する場合が多いはずです。
そりゃあ親が覚悟を決めて対処すれば100%解決するのですかといえば違うでしょうけれど、さりとて、私や、この文言や、他者や、学校や、社会を責めているウチは、解決しないままだと思われます。
6歳を育てたときの方法のまま16歳を育てていませんか。
好きなことを好きなだけやらせましょう、なんてのは本当に間違っています。
ただし、家の維持費と食事など含め、全て子が自分のお金でやれている場合は別です。干渉をやめた方がいいでしょう。
幼児扱いされ続けた子らは、自己肯定感が全く壊されたままになりますから、単に楽な生活を続けます。
「好きなことを親のカネでやってていい」となりますし、10代なのですから、そりゃあ、そこから出てこなくなります。
そういう親に限って、「子育て大変!甲斐甲斐しく面倒をみている私は、本当に親として頑張っている!」と心酔しています。
社会から遠ざけられた子らが、人生を見失ったまま同世代の歩いている道から外れ、様々な挫折や失敗を経験しないまま2年も経てば、8歳児のままの18歳児になって、「成人おめでとう」ですね。