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たがためにかねはなる

投稿日:2025年3月10日 更新日:

人は孤島ではない
人は独りで完結しているものではない
人はみな大陸を為す土や石であり
本土の一部分である

つちくれが海に洗い流されるとき
大地は小さくなってゆく
岬が崩れていくように
友人の地や自身の地は失われてゆく

誰の死もが私を削ってゆく
なぜなら私は人みなの一部分であるのだから

それ故に知ろうとしてはならないのである
誰の為にあの弔いの鐘が鳴るのかということを
それは貴方の為に鳴っているのだから

ネットで話題だったので、訳に挑戦してみました。

以下に、ジョン・ダンの原詩と、『誰がために鐘は鳴る』(たがためにかねはなる)の訳者大久保康夫による訳詩を紹介します。

For Whom the Bell Tolls

No man is an island, entire of itself;
every man is a piece of the continent,
a part of the main.

If a clod be washed away by the sea,
Europe is the less,
as well as if a promontorywere,
as well as if a manor of thy friend’s or of thine own were:

any man’s death diminishes me,
because I am involved in mankind,

and therefore never send to know
for whom the bells tolls;
it tolls for thee.

John Donne
Devotions upon Emergent Occasions, no. 17 (Meditation)
published in 1624

▼大久保康夫による訳詩

何人も一島嶼にては非ず。
何人も自らにして全きはなし。
人は皆大陸の一塊。本土の一片。
その一片の土塊を、波の来りて洗い行けば、
洗われしだけ欧州の土の失せるは宛らに岬の失せるなり。
汝が友達や汝自らの荘園の失せるなり。
何人の身罷りゆくもこれに似て、自らを殺ぐに等し。
そは、我もまた人類の一部なれば、
故に問う莫れ、誰が為に鐘は鳴るやと。
そは汝が為に鳴るなれば。

なんぴともいちとうしょにてはあらず。
なんぴともみづからにしてまったきはなし。
ひとはみなくがのひとくれ。ほんどのひとひら。
そのひとひらのつちくれを、なみのきたりてあらいゆけば、
あらわれしだけおうしゅうのどのうせるはさながらにみさきのうせるなり。
ながともだちやなれみづからのしょうえんのうせるなり。
なんぴとのみまかりゆくもこれににて、みづからをそぐにひとし。
そは、われもまたじんるいのいちぶなれば、
ゆえにとうなかれ、たがためにかねはなるやと。
そはながためになるなれば。

(読み方の間違っているところがあれば、教えてください。

▼浜野聡訳

人は離れ小島ではない
一人で独立してはいない
人は皆大陸の一部

もしその土が波に洗われると
ヨーロッパ大陸は狭くなっていく
さながら岬が波に削られていくように
あなたの友やあなたの土地が波に流されていくように

誰かが死ぬのもこれに似て
我が身を削られるのも同じ
なぜなら自らも人類の一部

ゆえに問う無かれ
誰がために弔いの鐘は鳴るのかと
それが鳴るのはあなたのため

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