ここ 10 年、情報が基本的にプッシュ型になったという言説を見ました。
たしかに!
いつの間にか情報は「得ようとするもの」ではなく、「押し付けられるもの」になりました。
いつの間にか知っている。
誰かが言っていた(ということを、知りたくもないのに目にする)。
まさに、ここに記事を書く寸前に私が情報を得たサイトもプッシュ型でした。
なお、この記事を読んでいるあなたはプル型で情報を得ていることになります。
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プッシュ型の何が問題か、
それは、得られる情報が知らないうちに偏ることです。
求めて得た情報ではないため、
思考の準備の無い所に情報が滑り込んできて、
意図しないうちに定着し、
意図しないうちに思考回路の一部になります。
自身の中で積極的な情報の精査が行われないということです。
同時に、
プッシュされないと知らないままになるような、プルしないと得られないような、自身にとって重要な情報を知る「余地」を失うことも問題です。
「余地」とは、時間的余地や精神的余地を指します。
ショート動画を見ていると、時間が溶けるだけじゃなく、何もしてないのに疲れるとか、そういうことです。
そして自身そのものであるはずの「思考」の余地さえも雲散霧消します。この被害が大きい。
TicTok, Instagram, X(旧Twitter), ショート動画, などなど、です。
害がでけえよ。
ちなみに、LINEもプッシュ型の情報ソースに分類できます。
と書いていて、一つ注釈が必要かと思われたのが以下。
100%プル型、100%プッシュ型の情報ソースが存在する、というわけでは無さそうだということです。
曖昧さを強調するための分類を試みるなら、
たとえば、寝ている際にみる夢はプッシュ型に思われますし、
本も開くまではプル型ですが、ひとたび読み始めれば、本の中の論展開は著者によるプッシュ型の情報カレントだと解釈できます。
ただ、スマホやアプリは、プッシュの強度がとても大きく感じられます。
ん? おう、勉強はプル型だよな。
そういうことです。
・・・と、まあ、いつものように、意見をプッシュして記事を終わります。
いずれまた、より良い表現や考え方に気が付いたとき加筆修正したいです。